プロフィール

Author:よもぎ
FC2ブログへようこそ!

gremz

最新記事

カレンダー

01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -

moon phase

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリ

カウンター

最新コメント

月別アーカイブ

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

石の下にも5年かも
慢性疲労症候群と診断されてから、いろいろな方面に関心が広がりました。石の下に閉じ込められている方々が大勢いらっしゃるのだと思います。病名にこだわらず、思うことを記していきたいと思います。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

どれほど狭い場所からでも
17年前の今日未明、当時はまだ徹夜で仕事をしていて、
阪神・淡路大震災のニュースに驚きました。
最初は、規模の大きさに比べて、被害報道の小ささに気を揉んだものでしたが、
その後、次々に大きくなっていく被害の様子、救助のあまりの遅さ……
そしてその後の援助の見当違い過ぎる方向は、
関東に住んで、何もできないまま、心が引き裂かれるものばかりでした。

昨年3月11日には、多くの人があの日を、さまざまな思いで想起したことでしょう。
けれども、昨年の1月17日付けの東京新聞では、
16年前の災禍の影響から立ち上がれずにいる人々、
そうした人々に支援の手を差し延べ続けている人々のことが、
記事として掲載されていて、深く考えさせられたものです。
見えないところで、いわれなき苦しみを背負わされ続けている人がいかに多いことか…

あの頃にはインターネットでのコミュニケーションはまだ一般的ではなく、
ブログやツイッターなどの発信どころではありませんでした。
ホームページで体験した方の記録を読んだことはありましたが、
それはやはり、ごく少数に限られていたものです。

そして、多くの人が、当時の傷を捌け口もなく抱え続けてきたことが、
最近になってようやく垣間見えるようになってきました。

昨年は……
凄まじい津波と地震、燃え続ける市街地という大災害。
癒されることのない無数の悲しみに、多くの温かい心が寄せられたのも束の間のごとく、
原発事故という…長い間恐れられていながら、対策が考えられていなかった最悪の事態。

事故への対策は考慮されていなくても、
半世紀以上の時間をかけて周到に準備されていたのは、
情報の時間差操作、錯綜、驚愕と混乱のなかで決して正解には辿りつけない道筋。

言い換えれば「心に植え付ける恐怖心と絶望のタネ」だったと言えるでしょう。

私もまた、いくたびも心にこの「おぞましい人工のタネ」を播かれてきました。
人工であることに気づかず、根をはびこらせ、繁茂させてしまったこともあります。
「心の病」と呼ばれ得る花をつけ、「希死念慮(自殺願望)」という、
なんとも忌まわしい実をつけるタネです。

なんの罪もない植物にたとえて語るのは気が引けるのですが、
人工物の多くは、植物の生態を模倣して造られていると考えています。
とりわけ心に植え付けられる、人間同士が無自覚に肥やし合ってしまうこの「タネ」は、
その根のはびこり方、抜き難さを思うと、非常によく似ているように感じます。
もともと人の心が持っている成分、原初的な不安感や恐怖心を、
猜疑心や自己否定、他者否定、私利私欲、無関心…等々に分解して養分にしてしまうところも。

でも、だからといって、永劫に取り除けないわけではありません!
あるとき、不意に抜けることも、枯れることもあることを、
個人的には6年半前、51歳になって間もなく、私は身をもって知りました。
信じられないほどスポンッと、一瞬にして消えてしまったんです。
機縁は「自分のせいじゃなかった」という自覚でした。

これだけ、あからさまに操作されていることが解るようになった今は、
むしろ絶望なんて不可能に近くなっていないでしょうか?

これまで「自分の弱さ」とひとり悩んだり、
「気の持ちよう」とか「病は気から」と他人に言われ続け、
心に絶望をはびこらせてしまっていた多くの人々にとって、
「少しも自分のせいではなかった」と気づくチャンスにならないでしょうか?

まだまだ、この「おぞましいタネ」は播かれ続けると思います。
いえ、ますます勢いを増してばらまかれるかもしれません。

けれども、このタネの正体を知っている人は、以前から少なからずいて、
徐々に、大きな力に集結しようとしています。
今回、初めて正体を知って、強い責任感をもって、
どんな状態であっても、相互に支え合える社会を新たに創ろうとしている人々も、
年齢にかかわりなく、次々に立ち上がっています。

天災はどうすることもできませんが、人間の社会は人間が創るもの。
どんなことがあろうと、生きている今を大切にしていれば、
自分を含めた多くの生きる命を支えていける。

自らの守備範囲がどれほど狭くささやかであろうとも、
そこから、新しい、ゆるやかな未来を創っていきたいと思います。
スポンサーサイト

テーマ:「生きている」ということ - ジャンル:心と身体

ひらく
15日、暦では小正月と呼ばれる日ですね。
太陰暦では新年最初の望月の日だそうですから、
今年は満月の1月9日が正しいのかもしれません。

昨年は、体調にもさまざまな変化がありましたが、
満月と新月の前後、大潮の時期に、
体調が急低下する傾向は戻ってきてしまったみたい(残念!)
今回の満月の頃には、ゆっくり落ちつける状態になれませんでした。
しかたがないので、やや不本意ながら新暦にてブログ開きです(^^ゞ

寝たきりになって5年の間にいくつかの手段を試行錯誤して、
不意の出来事にもなんとか対応できる力もついたような、つかないような、
それでも何とかひとつの経験則にできたかも? と始めてみたブログでしたけれど…

ほんとうに哀しいことに、私ひとりだけではなく、
人類の誰にとっても「経験則が通用しない世界」が顕かになってしまいました。

小さな島国の、小さな地域の、小さな家の中の…
さらに小さなベッド上の経験則なんて、なにほどの価値もない。
いえ、それはそれでいいんです、その方がむしろ正確なんですから。

ブログのタイトルとしては不適当になっちゃったかもしれません。
5年単位で考えれば多くのことが(とりわけ若い人にとって)解決可能になる、と、
短期間の解決を図って、その不可能性に悩む人々に伝えたかったのですけれど、
今はもう、簡単にそうは言えなくなってしまいました。

それでも「ひらく」。
生きる道を拓いていくために、さまざまな方向に開く。
孤に閉じていた自らを、いかなる方向へも開けるような態勢に整えているところです。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

人生のどんな段階にいても
ん? 1ヶ月経っていないのに、スポンサーサイトが???
それにしても、やっぱり長い間、何も書けないまま大晦日となってしまいました。

しばらく前から母の家で、母にとっては大きな波になってしまう年末年始のために待機しています。
そして、やはり、先ほど突然「大掃除をすべき」と思いついてしまった(?)母につきあって、
「大掃除もどき」をしたところ(^ ^;)
この二重生活もちょうど二年目を過ぎようとしています。

そのなかでの2011.3.11は、私個人にとっても確かに負荷を増やす結果になりましたが、
それどころではない奈落に追いやられ、そのまま放置されている人々に比べればなんでもありません。

ただ、身体的には、もともと弱っていた目と耳を酷使しすぎたため、
却って為すべきことが何もできない、という矛盾に陥っています。
もっと自らの「力の小ささ」を自覚しておくべきだったかもしれませんけれど…

ま~~~、いいかな?  と、じつは反省してなかったり(^^ゞ
生きている間は、受信も発信もできることはできるだけやりましょう。
そして、これからのコドモタチを信じます!

大人は子供から何を学べるか

上の動画は、もう1ヶ月以上前にツイッターで「ゆず丸」さんのつぶやきから知ったものです。
YouTubeではないので共有で貼ることができませんが、
アドーラ・スヴィタクさんという12歳の少女が、
「世界には子供っぽい考え方が必要だ」とユーモアたっぷりに語ってくれています。

サイトには「神童」と書かれていますけれど、それは違うと思います。
人生のどんな段階にあっても、学びたいことを学び、制限されることなどなければ、
「シンプルな考えを深める」チャンスはあるのではないでしょうか?
アドーラさんのおっしゃる通り、下にも上にも「年齢差別」はやめましょう。

今年85歳になった母は、
アルツハイマー病によって日常的、実利的な判断は困難になりましたが、
あたかも長い人生で身に積もった塵を洗われていくかのように、
シンプルに生命そのものを見つめる瞬間を持つようになりました。

現実に起こっていることが時系列では判らなくても、
非道なこと、間違ったことが平然と行われていることには日々驚きと怒りを表しています。
けれども、同時に、目の前で芽吹く植物や、懸命に這っている昆虫、
そして以前から食事だけはあげていた猫たちへの視線が、
病気以前よりも格段に、やさしく慈愛に満ちてきています。

もともとシンプル過ぎる私とは、なかなか話が噛み合わなかったのですが、
ことここに来て、このような新たな出会い方をすることになるとは……

いまこの時が、母と私のどちらの晩年に近いのか判りませんけれど、
ともあれ「生きていてよかった」と心から思えたことのひとつです。

苦しくとも哀しくとも、望みが絶たれたように幾度も感じたとしても、
生きられる間は生き続ける…それだけでこんなこともあるんだなぁ…と心から驚きました。

生きものは、生きている間じゅう変化の途上にあって、さまざまな段階にいるんですね。
今日会った誰かが、明日も同じ段階にいるとは限らない。
同じ人同士の未来にも、まったく新しい喜ばしい出会いが待っているかもしれない。

もちろん逆の場合も数多くあるでしょうけれど、それも「結末」ではなく「途上」に過ぎない。
そんな気持ちで新しい年を迎えることに致します。

皆さまにも新しい喜ばしい出会いに満ちた年になりますように!

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

生き延びる覚悟
ずいぶん長い間、ブログ放置してしまってました~
さまざまな思いを文字にすると複雑になりすぎるけれど、現実には単純に生きていられて、
冬の訪れとともに元気になってきてる…かも? と感じています。

なにより、先月24日から3日間の大潮の前後、家の中ながらけっこう動けたことが意外でした。
南房という不思議に恵まれた場所に来たからかもしれませんけれど、
その前日から、不意に動けるようになったんです。
それまではどうにも重くだるい日々で、どんなに気持ちが急いても動けませんでした。
この落差がけっこう面白いと、いつも思います。
気持ちや頭では動かせないのに、予想のつかないときに動き出す身体。
四肢の痛みがなくなるわけではなくとも、動けるか動けないかは別なんですね。

ただ周囲は同じように好調とはいかなくて、
母はこの大潮中、かなり下方影響を受けてました。
前回の今月9~12日も同様だったんですが、
このときは新薬メマリーを規定量まで増やして間もなくだったので、
かなり判断に迷ってしまいました。
薬のせいなのか、気候や放射性物質の影響なのか、病気の進行なのか…
とりわけ今は、誰にも断言はできないところでしょう。

ある面では、なにごとも予想がつかないのは生きている以上、当然のことです。
諸行無常はむしろ自然なこと。老少不定も昔から言われ続けてきていることではあります。

ただ、ある程度予測できる危険は回避してほしいと、反射的に思うのも自然の情。
段差や大きな穴の手前で、気づかずに進もうとしてる人を見たら、
つい腕をつかむなり、声をかけるなり、考える前に身体が動いてしまうものです。

あまりにも記憶に新しいところに、巨大な前例と教訓があり、
それよりは古いけれど、さまざまに語られてきた日本人ならではの悲惨な記憶があり、
しかも現実に影響が数多く出ているのは、私自身の身の周りでさえ気がつける…
どうしても気を揉まずにはいられませんよね。
それもまた自然な感覚だと思いましたし、鈍くなりすぎてしまったら困ったことになる。
いえ、困るどころではなく、これまで以上にとんでもなく哀しいことになってしまう…

とはいうものの、私に直接できることはあまりなくなってしまったことには、
3月のあの日に、同時に気がついてもいました。
人を動かすことはできない、自分を動かすこともままならない。
せめて、これまで知っていたことを少しだけ伝えて……
それ以上のことは、今は伝えてもなんの役にも立たないと思い知りました。

「間に合わなかった」、その一言です。

同時に、ずっとずっと先に向かって発信しておく必要は、
これまで以上に強くなっていると思いましたし、それは今も続いています。

次の瞬間には、自分が消えているかもしれない…
けれども私が曲がりなりにも体得した生き方は伝えたい…
私自身、もっと早くに知っていたらずっと楽に、多くのことができたろうと、
何度も、何度も、思ってきたからです。

それでも、やはり「今じゃない」

生き延びなくてはいけないのかもしれない、という思いが去来しています。
それが叶わないときのためには、なんらかの形で遺しておかなくては。
そのために、今、少しだけ力が戻ってきているのなら、有効に使いたい。

死を覚悟した経験は、ある程度の年齢まで生きた人なら誰にでもあるだろうと推察します。
(このところ、ほとんど毎日母からも聴かされていて、私的に耳に胼胝だったりもします)

自分の死は覚悟しやすい。
幼い頃から可能なので、現実になってしまうことさえままあります。

他者の死は……覚悟できない。
どれほど覚悟しているつもりでも、いざ現実になると、
少しも覚悟などできていなかったことに狼狽し、
「時」もその傷をほんとうには癒やしてくれません。

そして、生き延びることは……癒やされない傷を負い重ねる覚悟。
ほんとに覚悟できているかどうか自分でも判りませんけれど、
今はこの言葉で、なんとか自分を動かし続けようと考えています。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

心細い「幼子」のために
いま、このブログを読める人なら、
行動できる人もできない人も、子供も大人も、
言葉にしていても、していなくても、
人間なら誰もが、言いようのない不安を抱えているでしょう。

心の底に不安があって、
さらに悲痛な思いが拭えない人、自責の念に押し潰される人、
日々新たに怒りを感じる人、いつかは元に戻ると信じている人、
特に何も変わっていなくて幸運だったと考えている人、
来るべきときが来たと覚悟を決めた人……

表層にあるものは、人によって、
また立場によって、環境によって、それはさまざまなのでしょう。
「自分だけは大丈夫、やり過ごせる」と考えている人もいるかもしれません、でも。

阪神淡路大震災を体験された三角シズルさんのブログ SheZooRoux で教えていただいた朗読。
やさしい声と音楽が心に響きました。



言葉をうまく操れない小さな子はもちろんのこと、
認知症状が出る病の数々や、そのほか数えきれないほどの理由から、
遣る瀬ない想いに囚われている人はきっと大勢いるでしょう。

押し寄せる情報のインプットに溺れそうになりながら、
充分にアウトプットできない「心細くて不安な幼子」はどこにでもいます。
私の中でも、あなたの中でも、きっとどこかに隠れてふるえているでしょう。

でも、自分を「おとな」と感じているのなら、
誰かの話をこのように、急がせないでゆっくり聴いてあげてくださいね。
そんな機会にはゆったりと時が流れてくれて、
あなたの中の幼い子も、にこって微笑んでくれるかもしれません。
私の中でもそうだったように。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。