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石の下にも5年かも
慢性疲労症候群と診断されてから、いろいろな方面に関心が広がりました。石の下に閉じ込められている方々が大勢いらっしゃるのだと思います。病名にこだわらず、思うことを記していきたいと思います。
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自分が増えていくまでの経過(5)
お久しぶりです~
そろそろ、この間伸びしきった続き物も終わりにしたくなってますが……
6月30日に一度書いた原稿をうっかり消失してしまい、
気を取り直す間もなく、7月に入るや、足、腕、目の激痛が倍加してしまいました。

腕を長く水平に上げていられず、
また、目の焦点がバラバラになるので、パソコン画面を見ているのも……
って言いつつも、この「九十九さん」の隙を見ては眺めていたんですけど、
凝視とか集中はなかなか難しいのでした。

さすがは梅雨……といっても、降りそうで降らないし、
降ったら、いきなり雷鳴とスコール的豪雨。でも、すぐに止む。
熱と湿気が籠もった大気が濃くて、渦でも巻いていそうでした。
でも、そろそろ夏の気配も漂ってきて、だんだん軽くなって
……いくかな? どうかな? というところまでは来ましたね。

思えば3年前の7月21日、前回にも少し書いた「突然の軽快」があったんですよね。
今年は3年前のように……とはいかないようですが。
じつは、去年も一昨年も、そういうわけにはいかなかったし、
去年の秋以降は我ながら、心ならずも(ここ大事!)無謀の連続なので、
期待はしない、できない、とじっくり自分全員に言い聞かせてはいますけど~
それでも「あの夢のような夏よ、ふたたび」と……

この夢を見ているのが、第5人格の「舞ちゃん」です。
舞ちゃんは19歳 というのは、4人がせめぎ合っていた2年間、
一番ヒマだったのが「よもぎ」なんですが、
よもぎがあれこれ乱読しているうちに、むくむくと湧き上がってきたのが、
なんと19歳の頃に夢中になっていたフランス文学や演劇への関心だったんですね。
そして、目の前にはインターネット。
本当に19歳だったときには、想像もできなかったアイテムです。
当時、アイドル的存在だった文学者の、画像、映像、絵画やデッサン……
信じられないほどヒットするではありませんか
もう、目にも心にもハートと星がきっらきら 心は高く舞い上がり、軽やかに踊ります

そして、19歳の女の子が考えるのは……「私には何だってできる!」

いえいえいえ、実際に19歳だったときには、
精一杯に気負いながらも、心は世の中や大人たちへの畏怖でいっぱい。
心細さと自己嫌悪と、根拠のないかすかな自信と……そんな塊でした。

それでも、無謀さが走り出したのもその頃で、
親元を離れ(東京の中心から郊外へ……かなり不自然な形)
さまざまな世界に興味のアンテナがぐんぐん伸びて、
新しい出会いが数多くあり、楽しいこともたくさんあって、
ものすごく充実した気分でもありました。
「どこにでも行ける! どんなこともできる!」
可能性だけはいくらでもあったんですよね~

もちろん誰でもそうだと思うんですけど、
無数の可能性はしだいに数を絞られていきます。
だんだん1点に集中されて、そこで深まっていくはずですよね。
ところが私の場合は、何かを手がけようとする度に、激疲労とどこかの激痛でダウン。
大いに期待されては大いに失望される、そんなことの繰り返し。

可能性は、自分で絞ったというより、身体に絞られて、
狭まった状況の中では選択肢もあまりなく、
なんだか、いつのまにか、流されるままに~~

それでも、無謀な試みは幾度となく続けていましたし、
根拠のない自信は持ち続けていたんですけれど、
どの道も、思いきり先細り~~

まあ、人生なんてこんなもんでしょ、と思って、
とにかく、目の前で出来ることだけ精一杯やってきたんですが、
いつのまにか、自分がしたいことが判らなくなってたんですね。

病名をもらって、思いきり休まなくてはならなくなったとき、
「やっと休める……時間ができる」というのが最初の安堵でしたが、
「で、休まったら、元気になったら何がしたい?」と自問してみると、
なんと、なんと、な~んにもないではありませんか。
あれほど、したいことだらけだった自分が、完全に空っぽ

その昔、私は「伝える」ということが本当に可能なのかどうかを、
あらゆる方法で試したいと思っていました。そういう記憶はあります。
詩、小説、論説、演劇、絵画、音楽などなど、さまざまな手段を使うだけでなく、
組み合わせたり、融合させたりも試してみたかった……
でも、何を? 肝心要の伝えたいものが……ないっ

正確には、私が伝えたかったことなど、ほとんど既に発表されている、でした。
私などが試みるより、はるかにはるかに、
創意工夫に満ち、効果的に、魅力的に、美しく、楽しく、感動的に。
もう、やることないな~ いらないな~、です。
それは、寂寥感と解放感の入り混じった不思議な感覚でした。
どこかで、やるべきことをやっていないという焦燥感があったんでしょうね。

「オーケイ、世界は私を待っていない、よかった」

年齢相応のよもぎは、心からほっとしたんです。
言うまでもなく、思い上がりもいいとこです。
ただ、その無根拠な自信に支えられて生きてきた自覚もあるので、
それはそれでオーケイかな、と、ここは甘くやさしく自分を許すのでした

そもそも、声は潰れ、指には力が入らず、そもそも起きてさえいられない。
手で書けず、歌えず、描けず、楽器も弾けず、旅に出て見聞を広げるなんてことも不可能です。
かろうじてキーボードは打てましたが、それもメールのやりとりとネット検索がせいぜい。
すぐに疲れ果ててしまいます。
できることは読書のみ。それで充分だと感じていました。
それまでは「時間がない」「落ちつけない」という理由で読めなかった、
積ん読ストックが大量にありましたので

ところが、読書とネット逍遙の日々が、
生子さんの存在を浮き彫りにし、九十九さんとナズナが分離して……
よもぎの仮初めの平和は、それほど長くは続かなかったんですね。
そんなとき、偶然、思いがけなく、突然の軽快が訪れたんです。

もう一生できないと諦めていたことが、次々と出来るようになりました
起きていられるばかりではなく、立って動ける時間がいきなり増えました。
生涯で初めて、「身体のどこも痛くない」という感覚も味わいました
こんな状態で寝ているなんて、とっても出来ません。
いろいろなことを試してみたくなると言うもんです。

そこで、推定年齢19歳の舞ちゃん登場です
「今だけかもしれない」という気持ちもあるので、性急かつ無謀
で外出から始まり、を購入し直して乗り回す(いったんは廃棄していました)、
上り坂7km走破なんてことも繰り返し、まあ大変だけど可能だと知りました。
絵も描いてみてなんとか描けることが判り、絵画展にも次から次へと行ってみる、
映画も観に行くことができるようになり、独りで映画感へ行くなんてことも出来ました。
仕事の種もつくり始め、身体も頭もフル回転……し過ぎました

舞の活動過多の期間中も、四六時中そういう状態というわけではなく、
活動すればした分は、しっかり生子さんの制裁がありました
まあ、舞の暴走は3日に一度くらいがせいぜいで、
2週間に一度の「大潮」のある週は、ずっと九十九さん状態です。
ナズナモードも何度かはあり、その場合、舞の出番はありません。

でも、心に火は点いちゃったんですね。舞はそのまま居座りました。
この夢のような活動期間は2ヶ月ほどでピークを迎え、
あとは下り坂の一途でしたが、なんとか8ヶ月ほどはで動くことが出来ました。

しかし、動ければ動けるだけ、「ねばならない」も流れ込んでくるのが人生。
いつまでも舞だけが遊んでいるわけにも行かず、よもぎ的活動も要求されることになります。

私が元気を回復するにつれ、体調を崩しかけていた夫がどんどん悪化していきました。
まあ、当然のなりゆきでしょう。
慢性疲労症候群やそれに近い病の介護は、心身ともに非常に疲弊させられるものです。
今にも死んでしまいそうな発作の連続、ひとりでは食事も摂れない状態の看護、
その一方で収入もなんとかしなくてはなりません。

それがいつ終わるとも知れず、そのうえ患者はけっこう口達者(これは私だけかな?)
言うことだけは妙に元気なのに、実際には何もできない人間の介護ほど疲れることもないでしょう。

こうした状況は、脳由来の病気の周辺では起こりがちなことだと思います。
介護する羽目に陥った人が病気を理解できなければ、苛立ちと腹立ちの連続になるでしょう。
経済的に余裕がなければ、不安ストレスも双方にのしかかります(わが家も思いっきりそうでした)
強い言葉の応酬になってしまい、双方が深く傷ついてしまうことにもなります

わが家の場合さいわいなことに、夫は当初から私の病気への理解というか直観があったようで、
私自身よりはるかに以前から、おそらく20代の結婚当初から、私の症状を感知していてくれました。
いつも私の暴走のブレーキ役に徹し、寸止めのような制止をしてくれていたようです。
おかげで、わが家では傷つけ合いは発生しませんでした、が……
さすがに、劇症化の後の軽快ぶり、暴走再開の兆しには、
張り詰めていた緊張が音を立てて崩れてしまったのでしょう。

甲状腺嚢胞に始まって、全身ジンマシンの慢性化、極度の睡眠障害、
そして抑鬱状態がどんどん深まっていきました。仕事の継続など不可能です。

かくして病病介護と、最低限の収入確保の模索が深刻化しました。
実際には、こうしたことは相前後して交錯していましたし、
夫の変調も、私の軽快以前から始まっていました。
収入確保のための奔走は、私が車椅子でしか動けないときから始めていましたし、
そのために、夫は仕事を休まなければならないというジレンマもあったんですが、
夫が動けないという事態に至っては……もはやお手上げです。

借金が嵩みましたが、もともと動物たちの生活確保がわれわれ夫婦の大命題ですから、
自己破産という最終手段にも出られません(家をなくすわけにいかないのです!)

でも、しかし!
私の劇症化は、無駄ではありませんでした。
寝たきり生活のおかげで5人まで人格が分離できて、役割分担できたんですから、
「まだまだいける」ということが確信できるようになっていました。

何人まで? もしかしたら、その気になれば60兆人まで……かな?

60兆というのは、自分では数えられませんけれど、
人間を構成していると言われている細胞の数です。
(誰も本当に数えてはいないと思うので、あくまで推計でしょうけれど)
そして、CFSは、各細胞がそれぞれの役割で働いているということを、
イヤというほど体感させてくれる病気でした。

頭が痛い、喉が痛い、目が痛い、歯が痛い、胃が痛い、腸が痛い、
背中が痛い、腰が痛い、手が痛い、足が痛い……
全身の筋肉が同時に痛い、あることも知らなかった筋肉まで痛い。
痛みだけでも、こんな調子ですが、その痛みをじっと味わっていると、
だんだん痛みが塊から分解していきました。

最初は怖い感覚です。そのまま身体も分解して壊れていきそうな気がします。
でも、壊れない。見た目はまったくの正常で、炎症も腫れもありません。
壊死していくような気配など、外見にはまったくないんです。
分解しているのは感覚だけでした。しかも止まらない。

細胞が痛みを訴えているとばかり思っていたのですが、
それなら、傷んだ細胞が更新されれば、痛みも徐々に止まっていくはずです。
部位によって更新の速度は異なるようですが、細胞は更新されているからこそ、
胃潰瘍の痕跡も消えたはず。それなのに、胃痛はしょっちゅう起こる。

これはもう、脳からの情報が間違っているだけですよね。
脳の誤作動、それは確か。
でもね、そんなに大量な誤情報が流れ続けているにもかかわらず、
末端の細胞たちはきちんとそれぞれの仕事してくれてるんですよね~
誤情報のおかげでほとんど使えない身体なのに、
一所懸命、正常な状態を維持してくれているのは……なぜ?

その答えが判っているわけじゃありません。
けっこう無駄な努力のようにも思えます。
脳との連携がうまくいかないのなら、
さっさと壊れた方が効率がいいとも思えます。
もしも、生物個体が遺伝子の乗り物に過ぎないのなら、
すでに繁殖が期待できない個体など、さっさと捨てる方が理に適っています。

ところが、本当にいざというときになれば、
その細胞たちの営々たる努力が、ちゃんと実を結ぶんですよね~
まあ、瞬間芸みたいな形ではありますけれども、とにかく機能してくれます。

ヘルパー生子の正体は、この細胞たちだったのだと知りました。
脳からの不断の痛み情報にもめげず、細胞たちはひたすら担当部門を維持してくれていたんです。
そして、脳の壊れていない部分が「活動が必要!」とエマジェンシー指令を発すると、
必要な細胞だけが分離して活動してくれる。
細胞たちの努力、生子さんの監視と制止の厳しさと九十九さんの昏倒が、
よもぎとナズナの短期間活動を可能にし、舞ちゃんまで復活させてくれました。
倒れた夫の看護も、まあ超い~かげんな形ですが、最低限は可能になっていました。

そして、さらに今、新たな人格が必要かもしれない事態が起こっています。
これまで元気すぎるほど元気で独り暮らしをしていた83歳の母が、
この冬から突然、認知障害らしい症状を発現してしまったのです。

まだ確定診断は出ていません。でも、介護申請の結果は、
3月時点での「要支援1」からわずか3ヶ月で一気に3段階飛び級の「要介護2」
夫もまだ復調には至らない状態で、一挙に問題が山積です……が、
まあ、なんとかなるかな~という、ここでもまた根拠のない自信

ずっと「ひとりの自分」と思っていたものが、病気の劇症化のおかげで、
分離解体したり、パート別に協力したりしていくのを見ることができましたし、
頭と身体、どちらが故障しても、もう一方がなんとか補うということも信じられるようになって、
この先なにがあっても、まあなんとかなるでしょ、というわけで、
めでたし、めでたしなのでした~ 〈やっと完〉
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テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

自分が増えていくまでの経過(4)
週刊も夢と散りました……でも、まだ月刊ではない
ということで、気を取り直して続けます。

続きものということにも限界を感じ、
「現在進行形日記」(って、普通のブログだけど)という
カテゴリだけは作ったんですが、これもなかなか難しいです~

ま、言い訳はさておき……

ヘルパー生子(なまこではなく、しょうこ、です)に
強引にのしかかられたままの「寝たきり読書生活♪」にも慣れた頃、
あっという間に幽体離脱?が起こることになりました。

わが家につねに複数いる猫たちのひとりに異変が……。
いえ、つねに動物は複数ですから、
それまでの20年間は異変に次ぐ異変で、
ほんとうは、私が寝ていた2年間に
何も起こらなかったことの方が「不思議」だったのかもしれません。

実は、この不思議は、私がCFSをやすやすと受け容れた理由の一つです。
猫の誰かの代わりに、私に苦痛が降りかかっているなら大歓迎だったんですね。
それまでは、「なぜ、私じゃなくこの子に…?」の繰り返し。
長年の「希死念慮」もその故でした。

でも、やはりそのような「不思議」は永遠というわけにはいきませんでした。
動物の病気は、こちらの目に見えるときには、かなり進行していることが多いのです。
多少の不調を訴えませんし、痛覚も人間に比べて2割程度と非常に少ないのだそうです。
それは、生存戦略としては大事なことではあるでしょう。
本来、医療を受けるなんてプログラムされるはずがないのですから、
いちいち小さな痛みを身体が警告していては、
生きることそのものが不可能になってしまいます。

だから不調や異常が目に見えたときには、必ず緊急事態。
そして、とうとうそういう日が来てしまいました
そのとき、幽体離脱したのが、
これまでネットのあちこちに出没していた「ナズナ」です。

ナズナの行動については詳しくはかきませんが、
よもぎとずっと同体だったことは確かです。
よもぎがあれこれやりたがるのは好奇心、知りたがり、やってみたがりのため、
ナズナがやろうとするのは……なんというか、いつも他者(主に動物)を助けること?
どちらも、自分の矩というか、キャパシティを超えてオーバードライブなので、
野放しにすると大変危険な存在です。

今から思うと、生子さんも同体で、
ずっとこの2人に、やんわりとブレーキをかけてくれていたのでしょうね。
あまりにも言うことを聞かずに暴走しようとするので、
ついに暴力でねじ伏せることにならざるを得なかったのでしょう。

ところが、分離したナズナは、なんと生子さんに勝つんです
痛みも苦痛も、感じないというわけじゃないですが、
感じていても意に介さない。完全に「無視」
何日でも完徹オーケイ。無理な姿勢も気にしない。
病気の子しか目に入らず、そのために環境もどんどん変えてしまいます。
私としては、ただただ「すっげ~」と傍観するばかり。

暴走といえば暴走なんですが、
私自身も必要な暴走と認めざるを得ません。
生子さんはずっと喚いていましたが、
どうしても気絶させることはできないようでした

ナズナは、分離できたことで私自身の迷いからも解放されたようでした。
オーケイ、それならこの「ナズナモード」は信頼できる。
暴走でもなんでも、この人が出てきたら委せちゃおう。
私はそう考えることにして、ちょっと安堵しました

ずいぶん長い間、知らずしらずに、
「よもぎ」vs「ナズナ」の調整に苦労してたのね~、と気づいたんです。
よもぎは主に人と社会との外渉担当、ナズナは人間以外すべて担当。

おそらく私はナズナとしてこの世に生まれたのだろうと思います。
でも、それでは全然うまく生きていけないので、よもぎが生まれた。
ところが、その2人でもあんまり上手には生きていけなくて、
見るにみかねて生子さんが生まれた。
そんな順序だっただろうと思います。

でも、ナズナモードには終わりが来ます。
必要がなくなれば、ナズナは引っ込む。
そうなると、ずっとくすぶっていた生子さんが黙っていません
きゃ~~~

最初は、甘んじて受けていましたとも。
さまざまな症状でボコボコにされつつも、
それはそうよね~ 暴走だもんね~
つけは払わなくちゃいけないわよね~

ところが、生子さんの制裁はそれどころじゃありません。
さすがに腹に据えかねていた???
攻撃はとどまるところを知らず、
ついに、私が既に知っていた症状を超えちゃったんです。

目の焦点がばらばらになってしまって、本が読めない!
数字も全然記憶できない!(かつては得意分野だったのに~)
そもそも、自分の記憶が全然あてにならない~~~!
意識のある時間が極端に少なくなって1日3時間程度になりました。
ベッドに横になっていて、何かうっかり落としたら、
それはほぼ永遠のお別れです。
拾えない、探せない、もう寝ちゃおう の繰り返し。

これが、世に言う「高次脳機能障害」でしょうか。
何かを理解せねばと思うだけで、もう激疲労に襲われて、
「無理! イヤ!」と反射的に感じてしまいます。
特に、請求書関係は全滅……かくして督促状の山

さすがに、この状態のままでは困ります。
なにしろ全然、楽しくな~い!
かくして、今度は「よもぎ」が幽体離脱することになりました。
後に残したへろへろのお婆さんは「九十九(つくも)さん」。

あれ? そういえば、このお婆さん発症初期にもいましたね~
寝たままでの楽しみ方を見つけるまでは、確かにこんな状態でした。
生子さんとしては、九十九さんでいて欲しいのかも?
でも、いくらなんでも、そういうわけにはいかなくてよ

というわけで、しばらくは、
よもぎ、ナズナ、生子、九十九、四心同体のせめぎあいが続きました。
せめぎあいつつも、なんとか調和らしきものができてきて、
役割分担みたいなこともできるようになってきたんです。
それぞれの担当時間が短いので、ものすご~く忙しいけれど。

そう、じっと寝ているようにしか見えない病人や老人の中では、
これほど、場合によってはこれ以上に、とても忙しい日々が営まれているんです。
表に見せて伝える、あるいは行動する「ちょこっと」のために、
主張、反逆、妥協、諦め、調整…の数々が際限なく必要です。

普通っぽい2~3時間を確保するために、
1週間の準備、そして1週間の揺り戻しを覚悟する必要があったりします。
覚悟していないと、ただもう押し潰されて凹むばかり……

キーワードは「勇気」
行動する勇気だけじゃなく、寝たきりになるためのさらなる勇気が必要です。
行動が成就しなかった場合に押し寄せる残念感に耐えるにも、相当な勇気がいります。

なにしろ大した行動じゃないんですもの。
普通だったらすいすいと、ほとんど無意識にできるようなこと。
たとえば私の場合には、自分の名前を書くというのがそれでした。

指に力が入らなくなっていて、途中まで書くと、
もう、息切れして、動悸が高まり、貧血~呼吸困難……
署名を求められるということが、非常に怖くなっていました。
別に画数は多くもなんともないんですよ。
平仮名に近い簡単な漢字だけ。
でも、必ず途中で倒れてしまうんですよね。

勇気を振りしぼって、名前を書く……
そのためにどれだけの時間を費やしたことか~

私の場合は、幸いそこまでひどい状態からは、
2年ほどで脱することができましたけれど、
そうではない人も大勢いらっしゃると思います。
進行性の病気だったら、脱することはできないかもしれません。
老いていく過程では、誰にもいつかはそういうときが訪れます。
生まれたときから、こうした「せめぎあい」と戦い続け、
その勇気にさえ気づかれない「真の勇者」も大勢いらっしゃるはずです。

最近は、こうした勇気を「ポジティブ志向」と呼んでいるように思います。
本来の人間の限界を超えるほど勇気あるポジティブ志向で、
頑張って、頑張って、ちょこっと表現したときに、
「もっとポジティブに考えれば」と言われたら……

これは凹みますよ~

険しい岩壁を苦労して登ってきて、もう少しで登りつめられる、
ちょっと手を貸してもらえれば……というときに、
が~んと麓まで突き落とされるようなものです。

そういう目に遭う人が、どんどん増えているような気もしています。
とりわけ、医師職にある方の手で……
だって、やっぱりそういうときに縋る相手は医師ですものね。

でも医師だって人間ですし、それぞれさまざまな成長段階にある人です。
今日、患者にドクハラをしてしまった人が、明日もそうとは限らない、とも思います。
マニュアル言葉で済むアルバイトじゃないんですもの。
いつもニコニコ「ポテトはいかがですか~?」とはいかないでしょう。

でも、「勇気」が「ポジティブ」に言い換えられるようになって、
世の中では(医師に限らず)、
「ポジティブはいかがですか~?」が多くなったような気がするんです。
その言葉でいらない負担をかぶせられる「勇者」が増えたような気も。

自分が出しているとも思えない「勇気」なら、
そうやすやすと人に奨めたりはできませんよね。
自分が「勇気がある」と感じている人は、それほど多くないでしょう。
ところが「ポジティブ志向=楽しむこと、笑うこと、前向き」だったら、
苦痛のない人には、とても簡単に思えてしまう……

だからこそ、キーワードは「勇気」であって欲しいと思います。

さて、それはさておき、なんとか無理矢理な役割分担で、
水面下の足掻きは見せない水鳥くらいの平穏は獲得した私ですが、
やっぱり、人生は単純じゃない。
苦労して作り上げた「見かけの平穏」が崩れるときも来るんですよね~
自分で崩してしまうこともあるし~(だって平穏なだけじゃつまらないし)

水鳥だって、気晴らしに羽ばたきたいときもあるし、
びっくりして飛び立たなきゃならないときもあります。

そんなわけで、やっぱり自分って、
たった4人では全然足りないということになってしまいます(^^ゞ……〈また続く〉

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

自分が増えていくまでの経過(3)
週刊よもぎマガジン『よもよも』です、というのはウソですが
今、開いてみて、一週間放置していたことに気づきました。
亀ブログですみません(しかも続き物っぽくなっているというのに~)

でも、これからもこんな感じだろうと思いますので、
気長におつきあいよろしくお願い致します。

さて、細胞たちとじっくり話し合おうじゃないのと腰を据えたものの、
細胞たちの言葉は「痛み!」
大きくなったり小さくなったり、ひそひそだったり、叫び声だったり、
おおざっぱなニュアンスは解るような気もしますが、
細かいところは、さっぱり理解できません。

この頃の訴えは、同時多発の叫び声大会だったので、
つまりは「動くな!」というメッセージしかないんですよね。

歩こうとすると足首から下が激痛。
横になっていても、全身の筋肉がものすごく重くてだるい。
ちょっと頭を動かすと、頭蓋骨の中で脳が揺れるような感覚からめまい。
頭がビックリハウスになったという感じです。

でも、変だなと思うのは、こういう「動くな」メッセージと同時に、
かなり強い腹痛がしょっちゅう起こるので、
トイレには行かないわけにいかないんですよね。
そこで重みに逆らってベッドからいったん落ち(ゆ~っくり落ちるように降りるんです)、
足の痛みは無視して歩くと、足とお腹の痛みのあまり脳貧血→呼吸困難→失神。

わが家のトイレは、私のベッドから6~7歩の位置にあるのですが、
その途中の廊下(横幅区間)で、しょっちゅう遭難してました。
(10月に発症したので、この遭難、冬山並みだったんですよね~)
部屋の中にトイレが欲しいと、真剣に思いましたよ~
刑務所っていいな~とか

当時の腹痛は、もう完全に水状の下痢でした。
ポリフルもずっと処方されていましたが、まったく効果なし。
それが1日に何回も起こるので、外出なんて考えることさえできませんでした。

ちなみに、ポリフルは、止瀉薬というより過敏性大腸症候群の薬です。
大腸と小腸で高い吸水性を示してくれる……はずなんですけどね~
ただ、それほどの下痢が続きながら、全然、消耗してる感覚がないんです。
実際、ぜんぜん痩せもしない……どころか体重は増えていくではありませんか~

これにはさすがに呆れました。
この下痢6ヶ月続いたんです。普通だったら死んでると思います。
死なないまでも、がりがりに痩せるべきです! いや、せめて痩せたかった。
なのに、運動不足だけが忠実に反映されて太っていく~~~

こんな不自然な状態は「外出させないため」だけの、
細胞たちの作戦としか考えられません。

それどころか、ほんとうはトイレにも行かせたくなかったんでしょうね~
しかし、いくらなんでもそこまでは譲れません。
それに、このまま運動不足で筋肉が廃用症候群になってしまうのも困ります。
なにしろ、1日寝たきりで回復に1週間、
1週間寝たきりなら回復に1ヶ月といわれる筋肉です。
そうそう休ませておくわけにはいきません。

というわけで、寝たままでも出来るストレッチや運動をネットで探し、
細胞たちがどんなに喚こうが、数分ずつ少しずつはやっていました。
冬山登山の心構えで、トイレにもせっせと通いました。

ただ、起き上がるのがあまりにも大変なので、電動ベッドは安価なものを探して購入。
これ、上半身を起こしているだけでも貧血になるので、
電動部分は食事のときくらいしか使えませんでしたが、
手すりがついているのが大助かりでした。
身体を起こすときに、すごく役に立ってくれました。

こんな具合で、細胞たちとの話し合いは、いつのまにか闘争の様相に……
う~ん、これ、相手が細胞じゃなくても、集団を相手にするとありがちな展開ですね。
このときは、考えてみると完全に「闘病」してましたね、私。

でも、どう考えても無意味そうなポリフルの処方は止めていただき、
1分ストレッチと八甲田山並みのトイレ行だけで、
体力のすべてを使い果たしていた私は、
「も、いいや。このままずっと本読んでるだけで一生暮らす。けっこう楽しいし~」
という気分になっていました。
サッカーだったら「8-1」、野球なら「60-2」、バスケットなら「114-3」くらいの点差で、
細胞側の圧勝です。もう、ボコボコの敗戦です。
でも、なにはともあれ、無得点じゃないもん
という……まあ、ぎりぎりの負け惜しみ状態ですね。

でも、そのとき読んでいたのは、ほとんど「脳」に関する本でした。
CFSに関する本は、当時はわずか1冊でしたし、
そこからはとにかく原因は「脳」と「免疫反応」にあることしか解らなかったので、
それなら、そもそも「脳」ってどうなっているの?
ということで、1冊読んでとても気に入った池谷裕二さんの本を立て続けに読んでいました。

それから、「まるで柳澤桂子さんの病気みたい」という知人の一言から、
「え? あれ? あれ~! ほんとうだ!」と気がついて、
それまでもずっと愛読していた(なのに共通点に全然思い至らなかったって……バカです)
柳澤桂子さんの『認められぬ病』と『患者の孤独』も再読しました。

このお二人には、本当に蒙を啓いていただきました。
どんなに感謝しても感謝しきれないほどです。

柳澤桂子さんは、まさにご自分の人生の大半を呈し、
CFSとほとんど同じ病態が、医学にはまったく認められていない時代に、
まさに孤軍奮闘で、精密に病態を綴り続けてくださいました。
まったく身動きのとれない状態になり、死を覚悟するまでに至りながら、
その間に、病気のかけらも感じられない冷静かつ美しい筆致で、
多くの科学書も著されています。

現在もまだ認知度は低く、
地方によっては診断を受けることさえ困難な病ではありますが、
柳澤さんの偉業なくしては、今の状態にさえまだまだ道は遠かったことでしょう。

こうした読書を通じて、しだいに私に解ってきたのは、
「痛みを感じているのは、私の脳である」ということと同時に、
「その痛みを発するように指示を出しているのも、私の脳である」ということです。

そうなると「私=脳=よもぎ」は成立しません。
だって、「よもぎ」は痛みを発するような指示なんて出していませんもの。
「痛み止めて、止めて、止めて~」という嘆願書しか出した覚えはありません。

では、脳の中でこんなとんでもない指示を出しているのは誰?

それまでは、細胞発→脳着便だとばかり思っていた痛みは、
脳発→細胞着→脳帰着便だったわけです。
そして、よく考えてみれば、どこにも炎症反応数値の出ないCFSは、
細胞発のはずがないんですよね~
「細胞は、どこも、悪くない……?」

そうなんです。
ずきずきと痛みっぱなしで、崩れていっているとしか思えない手足は、
見た目はまったく普通です。そう、傷ひとつありません。
どんなに身体じゅうが痛くても、下痢をし続けても、胃が激痛でも、
また、喉も痛みっぱなしでも、白血球はいつも正常数値。
どこにも炎症がないことを証明してくれてます。

ただ、NK活性だけが、最低値の半分以下なんですよね。
何年か後、急に痩せ始めた(念願叶って?)ことを心配した主治医に、
胃カメラを撮るように言われたときも、
結果は「すごくきれいな胃です」

その13年前、私の胃には胃潰瘍の痕が6箇所もありました。
すべて自然治癒しているとは言われましたが、
確かに胃痛で七転八倒の記憶は嫌というほどあります。
(でも、内科不信だった私は、病院には行かなかったんですが)

ところが、その胃潰瘍の痕跡さえも、きれいさっぱりなくなっていたのです。
あれからも、何度も胃痛で転げ回っていたのに???

……ということは、脳の中で多発の痛みを指示しているのは、
もしかしたら、私のかなりぼろぼろの身体を、修復しようとしている誰か?
そんなわけで、「私」はこのとき二人に増えました。
病気になろうがなんだろうが突っ走ろうとする「よもぎ」と、
それを何としてでも止めてやろうとする「ヘルパー=CFS」、
そうですね~「生子(しょうこ)」さんとでも名付けましょうか。

なにしろ、「よもぎ」が「死んでもいい」って考える度に、
殴り倒してでも生かそうとするんですもの。
全身くまなく殴らないで欲しい、とは切に願っているんですが、
どうも、そういう加減はできないみたい
それはもう逞しく、腕っ節が強く、一路邁進型。
目的のためには手段を選ばない暴力ヘルパー。

ああ、でも、これも「私」なんだよな~(溜息)

ところが、私の増殖は2人には留まらないのでした……〈続く〉

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自分が増えていくまでの経過(2)
自分が一人ではないという話の続きです(^^ゞ
こう書くと、なんだか「人はひとりで生きてるんじゃない」的に聞こえちゃいますね(^ ^;)
でも、これはむしろ逆方向かも~

CFSに限らないことですが、
脳神経系や免疫不全系の病気の場合、
前にも書いたとおり、身体の複数の箇所が同時に痛みます。

よく映画などで、ある痛みに耐えるために太腿をフォークで刺す、
みたいなシーンがありますよね。
無麻酔の手術を受けなきゃいけないとか…(それほど多くはないかしら?)
毒をもって毒を制すというか、
より大きな痛みで、別の痛みを瞬間的に感じなくなることって、
確かにあるとは思います。
感覚神経は、とりあえず一番大きな痛みに集中するはずです。

ところが、CFSの痛みときたら、いずれ劣らぬ自己主張っぷりなんですよね。
12箇所なら12箇所全部が、大声で叫んでいる感じが続き、
脳としては、感覚をどう配分していいか解らなくなってるような、
または、感覚配分という作業を完全に放棄しているような……
全部を激痛として感じさせられる身としては「おいお~い」です。
「せめて1箇所に集中してほしいんですけど~」って、切実に思うんですよね。

とはいえ、どうしようもないので、
「私」としては、痛みの分析にかかることにしました。
この頃、痛み止めとしてはロキソニンを処方されていて、
これは、頭痛と歯痛にはよく効いてくれました。
頭部の激痛さえ排除できれば、なんとか分析なんてこともできるようになります。

一番気になる痛みは、四肢末端のものです。
まるで、凍傷で壊死寸前のような痛みなんです。
線維筋痛症と診断された方で「爆弾で足が飛んだような痛みが続く」と表現されているそうです。
私自身は、手足がどんどん分解されていくと感じていました。
でも、どんどん分解されているはずなのに、いつまでもいつまでも続きます。
何日も何週間も、何ヶ月も、何年も……

ある日、あっ!と思いました。
もし、私が「蟻塚」だったら、ずっとこんな感じなのかも、と。
細胞のひとつひとつが「働き蟻」だと仮定すると、
先端はいつもざわざわと忙しいことでしょう。
毎日、出かけていっては戻ってくる「働き蟻」たちの出入りのすったもんだは、
「蟻塚」にもし感覚があったら、相当痛いような気がします。

残念ながら、私は蟻塚ではないので、
私の手先(と足先)たちは、食料は運んできてくれませんが(^ ^;)
でも、空気や光から栄養摂取してくれている細胞は皮膚にいるでしょう。

そしてもちろん、消化器系の細胞たちは、栄養摂取に余念がないはずだし、
そこで分解した栄養をさまざまな形に変えたりして、
新しい細胞が生まれる準備をしてくれている細胞も……

というわけで、ようやく、
「え~と、人間の細胞っていくつだったっけ?」
というところに辿り着いたわけです。

私が生きている以上、60兆の細胞はず~っと働き続けてくれてるわけですよね。
最初はたった1個の細胞だったのに、よくもまあ、ここまで増えて50年以上も維持!
ウルウル感動の瞬間でした~(^ ^;)

そういうことなら、少しくらい文句を言う集団ができても
しょうがないか~ とも思いました、数日間はね。

……しかし、ちょっと待て、です。
このまま痛みっぱなしじゃ、生きていけなくならないか?
いや、生きていけなくなるよ、確実に。なにしろ働けないんだから!
それでいいのか? 細胞たちよ。

いやいや、よくないだろ~
これまで営々と続けてきた努力を無にするつもりじゃないんでしょ?

ここからしばらくの間、「私」は細胞たちとじっくり話し合うことになります。
細胞たちにとっては、「生きていかない」という選択もありだろうとは思ったのです。
いや、必ずいつかはそういう選択が行われることになってます。
生きている以上は、いつかは細胞たちがそれを選択するときがきます。
「私」は、20年間、それを心待ちにさえしていたのです(たぶん鬱状態になってたのでしょう)

でも、でも、でも……
この同時多発の叫び方はなんか違うんですよね~
なんというか「生きるための一斉蜂起」感が満々です。
おそらく、継続したいからこその「労働環境改善の要求」みたいです。
つまり「このままじゃ死んじゃうからなんとかして~!!!」という叫びらしいんですよね。

う~ん……「私」は別に死んでもいいんだけどな~
いや、むしろ死んだ方が簡単なんだけど~

こんな風に答えてみると、細胞たちはぎゃ~ぎゃ~大騒ぎです。
イタタタタ……ちょ……待って……わかった……降参……
ここまで「」付きで書いてきた「私=よもぎ」は、
細胞の団結力にあえなく敗れたのでした(^ ^;)

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自分が増えていくまでの経過(1)
またまた、時間が空いてしまいましたが(^^ゞ
とりあえず、前記事の続きです。

脳は、「わたし」そのものではないとは考えたものの、
やはり、いろいろ考えたり、体の細胞各種に
神経を通して指示を出しているのは脳でしょう。
間違っていても、いなくても(^ ^;)

誤作動を指示している部分があったとしても、
そうじゃない部分も確かにある……というか、その方が多いんです。
たとえば、目をつぶったり、空いたりという動作、
指を動かす、笑う、しゃべる、食べる……こういったことが、私の場合には出来ました。

出来なくなったのは、立っている、座っている、歩くという動作を続けること。
横になってさえいれば、痛みは各所にあっても、いろいろなことが出来ます。
本を支えることはかなり大変になっていたので、
まず、読書スタンドを購入しました。
それから、ノートパソコンを寝たまま使えるような台をあれこれ試しました。
(これは、いろいろ試行錯誤したんですけど、なんどかパソコンが落ちてきたのでやめましたが(^^ゞ)

でも、まあ、読書はできたので、
取り急ぎ、脳のことをまず調べることにしたのです。
それと、これまでは時間がなくて読めず、ただ積ん読になっていた本の山も、
次々に制覇することができる、これってすごいチャンスなので嬉しくなったものです♪
「不可能」っていう言葉に、夢心地にさえなれました。

でも、人によって、出来なくなることは異なりますし、
環境も異なります。特に、子育て真っ最中だと、
そうそう寝てばかりいられるはずがありません。
私は子宮腺筋症(これはこれで!でしたが)で子どもができず、
すでに子宮も全摘してありませんでしたが、
子どもが生まれてからの発症や、これから子どもを生みたい場合は……???

こうしたことも、先々考えざるを得なくなりますが、
ひとまずは自分が出来ることを最大限に生かすことを考えて、
出来ないことは、出来ない!と、きっぱり諦めました。

諦めるって、わりとネガティブにとらえられがちですが、
本来の意味は「明らめる」、明らかに現実を見て、
出来ることと出来ないことを見分けることです。

子どもの頃からそう思っていた私は、
「あきらめないで」という言葉を聞く度に、
けっこう複雑な気分になってたんですよ~(^ ^;)
「いや、それダメでしょ。現実を無視して無理してもいいことないし…」って。

そんなわけで、さっさといろいろ諦めた私は、
大好きな読書に耽溺……しましたが、
これは、夫が一応いろいろ世話してくれたおかげではあります。

洗濯(やや下手)と料理(けっこういい加減)と、
10頭の猫たちの世話(これは信頼できる)をしてくれましたし、
私が発作を起こして、廊下で倒れたりすると助けてくれました。

わが家はもともと主婦と主夫、入れ替え制だったので(^^ゞ
そのへんはスムーズではありましたが、
当時は、私が外仕事担当だったので、収入源が~(><)

でもまあ、クライアントのご理解をいただいて、
細々と続けることが、2年くらいはできました。
打ち合わせは、午前2時~4時くらいという、仰天なイレギュラーぶりでしたけど(^^ゞ

そんな形で、このあと波瀾万丈ながら、
見た目はほとんどじっとしているというCFSとのおつきあいが始まり、
「自分」って一人ではない、ということに徐々に気づいていくことになりました。

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