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石の下にも5年かも
慢性疲労症候群と診断されてから、いろいろな方面に関心が広がりました。石の下に閉じ込められている方々が大勢いらっしゃるのだと思います。病名にこだわらず、思うことを記していきたいと思います。
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「認知症」から学ぶこと1
なかなか更新できないブログです。
今年は、生きのびるだけでも大変な酷暑でしたから、
どんな人もかなりの疲労を抱えてしまっていることでしょう。

日中はまだ酷暑が現在形ですし、台風も続けて発生しているし……
9月は私の誕生月でもあるんですが、
毎年たいていダウンすることになってます

今年も「スイッチオフ」の時間がかなり長くなってしまい、
パソコンに向かうこともかなり少なくなっていました。

そんななかで9月2日に、独り暮らしの母が正式に、
「アルツハイマー型認知症」と診断確定されました。
去年の冬から、短期記憶と感情の混乱がはっきりしていたので、
この診断確定までは長い道のりでした。

ようやく具体的な経緯が書ける段階にたどり着いたので、
覚え書きとして「認知症」について記していくことにします。
例によって長文になると思いますので、
体調のよくない方はご注意くださいませ

電話でしかコミュニケーションのとれなかった私にとっては、
母の変化がはっきりしたのが昨年の12月でした。
月に一度は会っていた弟にとっては、
秋頃から急速に変化が感じられていたそうです。

診断確定されるまでは無治療に近い状態を維持せざるを得ないので、
この9ヶ月は対処法に悩み続けでした。
「血管性」なら、早めのリハビリが重要なはずですし、
「レビー小体型」や「前頭側頭型」の場合には薬そのものが気になるうえ、
あまり放っておくと症状の進行に追いつかなくなってしまうかもしれない……
「認知症」の種類は70~100もあると言われているので、
病名が解るまでは気が気じゃありませんでした。

とはいえ、素人でしかも遠距離にいる私には、
電話での「回想法もどき」と
「リアリティ・オリエンテーションもどき」しか不可能です。
生活上の危険はまるで回避できません。
弟一家も、仕事の繁忙期に加え、義妹のご両親が相次いで病に倒れ、
大変なことになっていました。

そこで、とにかく母の住む市の自治体に援助を求めることにして、
病名未確定のまま、介護度認定と生活支援をお願いしました。
ただ、そのためには、やはり家族が立ち会わなければなりません。

当時、私は幸い症状の寛解期でしたが、
それをいいことに? 数年ぶりに仕事をよちよちと再開したところ。
ひとりで外出は不可能、ベッド上で出来る仕事しかできず、
それも、しょっちゅう横になりながら、という状態です。

それまで移動の頼りにしていた夫は、
不安神経症のピークで、抑鬱と反復性過眠症状の真っ最中。
母の暮らす家に行くための片道3時間の運転は、非常に不安なものでした。

それで、ようやく認定をお願いできたのが2月、
その頃まではバイクに乗っていた母ですが(これも怖かったんですけどね)
バイクが壊れて移動手段がなくなり、本人の不安が大きく跳ね上がったため、
とりあえず、支援器具(シニアカー)を借りるためという名目でお願いしました。

最初の認定は「要支援1」。
でも、シニアカーの利用は無理でした。
操作がタッチパネル式なので、バイクとはまったく勝手が違います。
その頃には、テレビの操作も難しくなっていて、
毎日、見たい番組の時間の前に、電話で誘導する必要があったのですが、
ビデオやリモコンという言葉の意味がすぐには通じないほどでしたから、
新しい機械の操作は不可能でした。

母はもともと意思の非常に強い人で、だからこそ、
父が亡くなってから17年間、慣れない土地で独居を貫いていたのですが、
(夏の家として作った家に、長年住み慣れた東京から引っ越しました)
「これからは歩くことにする!」と宣言し、
いったんは介護認定は水泡に帰したか……とも思えたのですが、
バイクの感覚で歩くということは、
とっさの見当識が失われる病では困難すぎました。
何度も道に迷い、おそらく「徘徊もどき」状態になったようです。

ただ、母の住む千葉県のK市は、とても人気(じんき)のよい土地で、
母が道を尋ねると、必ず車で家まで送り届けてくださったらしいのです。
おそらくは、仕事の手を止めて……ですよね~
私の住む埼玉の都市や東京ではこうは行かなかったかもしれません。
海と山々に囲まれた土地柄なので、
老人が夜まで迷い続ける危険を、地元の方がよくご存知なのでしょう。
多くの見知らぬ方々にご迷惑をおかけして、ひたすら感謝、感謝です

母は、そのことを私に電話で話してくれますし、
毎朝電話すると元気にしているので、かろうじて安全確認ができる形でした。
でも、さすがにこんな状態を続けるわけには行きません。
買い物に不自由を感じさせないためだけにも定期的に通う必要がありますし、
介護認定も、市の担当の方に相談し、6ヶ月を待たずに再申請することになりました。

脳神経内科の予約は4月に取っていたのですが、
初診は予約がいっぱいで、6月でなければ受診できないとのこと。

予約を取るまでに時間がかかってしまったのは、
母を説得することと、家族が付き添えない事情が数々重なってしまったためです。
母には「歳のせいなんだから当然、病院なんて行きたくない!」という気持ちが強く、
「このまま死んだ方がマシ」と何度も泣きながら言っていました。
とにかく「入院は絶対にイヤ」というスタンスです。

高血圧と消化器系の病気でずっとかかりつけだった医師からは、
「投薬管理ができる状態、家族同居または施設入所しないと薬は処方できない」と言われ、
最初は母がひとりでそう告げられたため、かなり腹を立ててしまい、
処方された薬を全部捨ててしまったこともありました。

家族と同居はできない事情があり過ぎなので、
なんとか投薬管理を工夫しようと、あれこれ考えたのですが、
1回分ずつ分けて、ポケットカレンダーに日付毎に入れた薬を、
1日で3日分のんでしまうという事件があり、
(「1日分ずつのんで、3日経ったらまた来るね」と私が言ったせいの失敗)
この方法では無理、と知りました。
降圧剤が入っているので、のみ過ぎも断薬も怖いんです。
この時点では「血管性」の可能性も考えていたので、私が震え上がりました。

そこで、数日私が滞在して投薬管理をしつつ
介護認定を改めていただく手続きをお願いしました。

幸い、市の担当の方は、この頼りにならない家族の事情を汲んで、
流動性ある幅広い「介護」とケアマネージメントも可能な
小規模多機能ホームを紹介してくださいました。
認定のおりる前に前倒しで、毎日1日分の薬を手渡しするとともに、
安否確認や急場の訪問もしていただけることになりました。

その間に、脳神経内科での診断も受けられることになり、
ようやく診断確定に漕ぎ着け、母もまだ治療前だというのに、
急速に安定を取り戻しつつあります。

私の場合もそうでしたが、
やはり「病気だと知る」ということは大きいですね。
母もそれまでは、自責の念と増大する不安、
簡単だったことができなくなった自分への苛立ちで、
病気の症状以外の部分で混乱が強くなっていたのでしょう。
BPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)、
すなわち、周辺症状と呼ばれている混乱の一種でしょう。

短期記憶を引っかける場所がなくなっているので、
一連の会話の中では、なにひとつこちらの言ったことは伝わりません。
ところが2時間ほど経つと、驚くほど深い理解に変化するんです。
そして、この記憶は消えません。
「認知」すなわち、認識と知力は完璧です。

ただし、同じ2時間でも、
会話を続けているとこうはならないんですね。
次から次へと情報が変化してしまい、
当人もそれを消化しようと焦ってしまうので、
辻褄合わせのために、いろいろなイメージを呼び出してしまう。
それがアッパーに繋がることも、ダウナーに繋がることも……
ダウナーになると聞き手の私も巻き込まれかけます

これって、もしかしたら、同じ経験を共有しながら、
異なる年齢や立場から見てきた家族ならではの「弱点」かも、ですね。
私自身が一番苦しかった時期のことを、
「あの頃がいちばん幸せだった~」とか言われると、
どんなに話に付き合う心構えでいても、
反射的に「むっ」とした感情が湧いちゃったりしますから。

でも、だからこそ、やむを得ない事情からではありましたが、
同居できないのも悪くなかったかも、と思えるようになりました。

とはいえ、アリセプト開始……
副作用や合わない場合が怖いので、どうしても疑似同居が必要です。
3mgで2週間、それで大丈夫だったら5mgでさらに2週間くらいでしょうか。

その間、夫と猫たちを残して自宅を留守にするのも、
いささか心配な事情がありますし、仕事も一応続いています。
私自身のME/CFSも、この9ヶ月で徐々にまた悪化している気配……

そして、いちばん心配なのは、
その疑似同居を打ち切ることが、果たして可能なのかどうか?

でも、どんなことでも完全に元に戻ることなんてあり得ないかな?
(仮に病気が治ってもその期間分は歳とりますしね、たとえ数日の風邪でも)
先のことを想像しても、その通りになることなんてまずありませんし~

見る前に跳んで、結果はすべて受け容れるしかないですね。
この9ヶ月、3倍速くらいの早さで転変を繰り返している母に、
多くのことを教えてもらえましたし、今もまだ驚きの連続です。

「認知症」と呼ばれている病は、認知の障碍ではなく、
短期記憶、時間感覚、見当識、そして表現の障碍らしい、
と、うすうす解ってきました。
表現できないという点では「閉じ込められ症候群」と呼ばれる状態に
よく似ているような気がします。

今の母の段階では、身体は自由に動きますが(私よりもはるかに!)、
きっと網に絡め取られて身動きできないような
どうしたらよいか解らないという空恐ろしさを感じているだろうと思います。

「ひとりでは何も出来ない」という点では、私と母は同じです。
ほかにも気圧や潮汐に影響されやすかったり、
体温調節がうまくできなくなる、など似ている点は多々あり、
つくづくどちらも、複数の脳神経の故障なんだな~と実感します。

とはいえ人生の83年間を、体力と知力、意思力で乗り切ってきた母は、
今の状態を、そうおいそれとは受け容れられないでしょう。
しかも「アルツハイマー型」は、現時点ではどうしても進行する病気。

私のME/CFSのように、長年の間に繰り返しのパターンをなんとか類推し、
それに合わせて受容していく、というようなことさえ出来ません。
それは、母の「介護」をしていくことになっている私にとっても同様です。
(そもそも介護になりませんよね~、むしろ介護されることになりそう)

何はともあれ、新しいステージと考えて、
目の前の経験をひとつひとつ楽しんでいきます
あ、もちろん、プロの手を大いに借りながら

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体



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