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石の下にも5年かも
慢性疲労症候群と診断されてから、いろいろな方面に関心が広がりました。石の下に閉じ込められている方々が大勢いらっしゃるのだと思います。病名にこだわらず、思うことを記していきたいと思います。
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戦時中の若者たち
今日から大潮、明日は新月……
さすがに体調ががくんと落ちます。

長崎は両親の出身県の隣。
母は、上京した後すぐに学徒動員で、
東京から名古屋、瀬戸に行かされていたそうですが、
祖父母や叔母、叔父たちは65年前その地で暮らしていました。
しかし8月9日の話は、誰からも聞いたことがありません。

思えば不思議な気がしますが、隣のすぐ近くの県のことも、
当時は知るすべもなかったのかもしれません。

母は当時20歳だったはずですが、
8歳のときに学校で「戦争が始まった」と朝礼で告げられ、
それからはずっと「非常時」だったので、
自分に将来があるとは、そもそも発想にさえなかったそうです。

働いていた工場の隣の建物が爆撃され、
たまたまそちらの建物にいた同級生は全員亡くなったそうですが、
それさえも恐怖の感覚ではまるでなく、
「たまたま、ということに過ぎなかったわね~」と言うのです。
これはまだ、母が若かった頃によく聞いていた話です。

今、母は83歳、去年の末から「認知症」の症状が出て、
冬から初夏までは、抑鬱と「感情失禁」と呼ばれる
悲哀感、不安感が強かったのですが、
今は少し落ちつき、それほどの感情の激動はなくなっています。

ただ、戦時中の記憶は、不安や悲哀にも、
恐怖にもまったく結びついてはいなかったのです。

敗戦後の生活の大変さや買い出し、
東京に戻ってみたら学校も寮も廃墟になっていたこと、
でも、家族は幸い誰も死ぬことがなかったため、
若さゆえの明るさで乗り切ってしまったのでしょうか。

当時、夫はすでに亡く、病弱なふたりの子を育てていた、
父方の祖母の話とは、まったく別の次元の世界のようです。

一度だけ、学徒動員の頃の思い出として、
「みんなで爆撃のとき洞窟に隠れていたことがあるけど、
あんな風に逃げていちゃいけなかったわね~」と。
「いや、それ逃げてて当然でしょ」と私。
「ちがうわよ、ちゃんと正々堂々としているべきだった」
「………え~と、とにかく生きててくれてよかったよ」

博識だった母が、日常使うものの名前がとっさにまったく出てこない、
日、曜日、時間の感覚さえ分からないというのは、
やはりショックではありましたが、
それは「タイムラグ」にすぎないことは、間もなくよく判りました。
記憶が消えているのではなく、検索がうまくいかないだけなんですね。

流れができれば滔々と記憶はつながります。
得意というより名人級だった百人一首は、上の句だけで96首正解でしたから。
(私にはとても出来ないので「すっごい~」としか言えません)

片道3時間弱の遠方に住んでいて、すぐに側にいけない私は、
電話だけで、時代を駆け巡る回想を延々と聞き、
ときには妹(叔母)のひとり、ときには友人になっていて、
最後には「私は娘よ」と言って、
「あ、そうか」とふたりで笑い合うという形で、
なんとか今現在に結びつけることしか出来ませんでした。

ようやく脳神経内科を受診できたのが6月、
MRIで脳変性は認められたものの、まだ診断確定には至っていません。

家族が側にいられないために、「要支援1」から「要介護2」へと、
わずか3ヶ月で3段階も飛び級してしまいましたが、
これからどうなるか、どうするかは、
自分の病気、夫の病気、猫たちのこと……
それぞれの様子を見ながら考えていくことになります。

でも、そんなことを考える必要があるまで、
長生きしてくれたことに、心から「ありがとう」と思っています。
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テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

コメント
生きた話を聞く事も少なくなりましたね・・・
戦時中の話・・・
身内に戦時中の話を聞ける人間がいなくなってしまった私は、仕事をしていた時に出会った方に戦時中のお話を聞かせてもらっていました。

>「たまたま、ということに過ぎなかったわね~」

「運が良かった」ではなく・・・
本当にたまたま爆撃を受けなかった・・・
それ程、当たり前に爆撃があった日々だったのですね

今も世界中のどこかで、そんな日常を送っている人達がいるのって・・・
どうしたら戦争をおこさない世の中になるのでしょうね

[2010/08/11 17:39] URL | 光希 #- [ 編集 ]

「戦争ぼけ」の怖さ
光希さん、こんばんは~

よく「平和ぼけ」とか言いますけど、
生存本能そのものを麻痺させる「戦争ぼけ」の方が、
何1000倍も恐ろしい、と、いつもこの話を聞くたびに思ってました。
そういう「ぼけ」がなくては、自爆攻撃なんて出来ないでしょうね。

私は「認知症」って「呆け」とは、まったく正反対だと思ってるんです。
「呆け」って、社会に適応しすぎることだと思うので、
(そんな例、嫌っっていうほど日常目にしますものね)
むしろそんな「呆け」を洗い落としてくれるのが、
年齢を重ねるということであり、病気と呼ばれるものでもあるかも、とも。

戦争はやめられるものだけど、
「経済」がある限り、やめないでしょうね。
経済もやめられるものだけど、
まあ……やっぱり、やめないでしょう。

勝手に作ったもの(経済とか世間とか)は壊せるということ、
作れないもの(命とか自然とか)は壊しちゃいけないということ、
このシンプルなたった2つのことを、
人間という種全体が学ぶことって……あるのかな~?

戦争の禍いは、どんなに語られても忘れられていき、
「戦争でものすごく儲かった」という記憶だけは、
どこかで根強く伝わっているんだな……と感じています。
[2010/08/11 19:56] URL | よもぎ #f8PV/UZw [ 編集 ]


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